晴明・道満~謎の赤碕塔(4)
続きです。
記事の冒頭に述べた、修験者達が、陰陽師をリスペクトするという図式は、正史としての解釈が難しい面もあろうかと思いますが、畏怖すべき大自然の霊力をもって人々の暮らしに寄与するという共通点で、研究者でもない我々一般人にはごく普通に・・・ストンと腑に落ちるものです。
彼ら修験者たちにとっても、この塔が建立されたと考えられる鎌倉時代ごろになれば、開祖・末裔にかかわらず畏敬の念を抱き、供養が欠かせない存在であったと思うのです。
この一連の調査成果を、小谷先生は「正史の究明」に重きを置かず、「このロマンチックな歴史ミステリーを、地域で共有し、顕彰、あるいは、街の魅力として発信することに注力すべき。」という姿勢を強調しているように伺えます。
「指定文化財」という、ガードフェンスを設けたことで、街に溶け込んでいた、本来伝え続けなければいけないことが、おざなりになっていたことは事実です。
修験道。陰陽道。そして安倍晴明。
これらは今でもミステリアスな響きをもち、歴史という知的好奇心を揺さぶって止みません。
これからも、このミステリーそのものを顕彰し続けられるよう、我々も協力したいと思います。
あらためて、琴浦町赤碕の一角にそびえる謎の塔、「赤碕塔」の前に立つと、まるでそこから1300年前の風が吹いてくるかのようでした。
終わります。

赤碕塔 塔身が円筒形で、宝篋印塔のようだが、宝塔に近い形状をしている。

日本海を背に立つ赤碕塔 潮風による浸蝕が深刻だが、長い年月を耐え抜いた風格でもある。
ご興味があれば、ぜひ訪れてみてください!
↓赤碕塔の情報はこちらからも
花見潟墓地・赤碕塔 ;琴浦町観光協会
安倍晴明と山伏 ;琴浦町HP
↓また、めずらしい、地域名のついた石塔の研究の一端はこちら
身近な文化財~石造文化財について~ ;別府大学地域連携プログラム
国東塔 ;ウィキペディア
記事の冒頭に述べた、修験者達が、陰陽師をリスペクトするという図式は、正史としての解釈が難しい面もあろうかと思いますが、畏怖すべき大自然の霊力をもって人々の暮らしに寄与するという共通点で、研究者でもない我々一般人にはごく普通に・・・ストンと腑に落ちるものです。
彼ら修験者たちにとっても、この塔が建立されたと考えられる鎌倉時代ごろになれば、開祖・末裔にかかわらず畏敬の念を抱き、供養が欠かせない存在であったと思うのです。
この一連の調査成果を、小谷先生は「正史の究明」に重きを置かず、「このロマンチックな歴史ミステリーを、地域で共有し、顕彰、あるいは、街の魅力として発信することに注力すべき。」という姿勢を強調しているように伺えます。
「指定文化財」という、ガードフェンスを設けたことで、街に溶け込んでいた、本来伝え続けなければいけないことが、おざなりになっていたことは事実です。
修験道。陰陽道。そして安倍晴明。
これらは今でもミステリアスな響きをもち、歴史という知的好奇心を揺さぶって止みません。
これからも、このミステリーそのものを顕彰し続けられるよう、我々も協力したいと思います。
あらためて、琴浦町赤碕の一角にそびえる謎の塔、「赤碕塔」の前に立つと、まるでそこから1300年前の風が吹いてくるかのようでした。
終わります。

赤碕塔 塔身が円筒形で、宝篋印塔のようだが、宝塔に近い形状をしている。

日本海を背に立つ赤碕塔 潮風による浸蝕が深刻だが、長い年月を耐え抜いた風格でもある。
ご興味があれば、ぜひ訪れてみてください!
↓赤碕塔の情報はこちらからも
花見潟墓地・赤碕塔 ;琴浦町観光協会
安倍晴明と山伏 ;琴浦町HP
↓また、めずらしい、地域名のついた石塔の研究の一端はこちら
身近な文化財~石造文化財について~ ;別府大学地域連携プログラム
国東塔 ;ウィキペディア
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