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測地レジェンド伊能忠敬、米子に呆れる。(4)

続きです。

と、まあ、昔の郷土に色々呆れたり突っ込んだりしましたが、続く第8次測量の際には、手厚くもてなしたということなので、忠敬も「やれやれ」と緊張を解いて仕事をしてくれたものと信じます。

さて、色々奥深くて、魅力ある地図の世界です。
その歴史をたどるだけでも、深くて魅惑的な扉が開いてしまいますので、このブログではほどほどにいたします。
伊能図中図 米子と周辺
~きっど所蔵の武楊堂伊能図より 米子周辺の中図~

最後に、きっどが個人的に凄いと感じた日本古地図を、備忘録的に記して終わりたいと思います。

享保日本図(松浦静山識日本興地図)
福山市の草戸千軒ミュージアムが、個人からの委託で保管している古地図で、なんと、あの徳川吉宗の命で作られたものだそうです。
伊能忠敬没後200年記念の企画展で、きっどは初めて本物を見ることとなりました。
吉宗は、平たく言えば科学的見地からも物事を見ることが出来た将軍様で、それまでの地図の違和感を、測量の基礎にのっとって修正させた地図なのだそうです。
博物館の調査の結果、本物の原図であろうという結論になりましたが、それは、平戸藩主松浦静山により書かれた識語の高い信ぴょう性や、基準点などの元始情報の文書記録と図面が一致している。などが挙げられるそうです。
原図ですので、吉宗が直接見ているかはわかりませんが、なんかワクワクしますよね。
きっどの住まう、鳥取・大山周辺の地図を、パンフの画像から引用してみました。
大山にビビビと側線が引かれていて美しいです。目標からの角度が、この測量図の命です。

↓伊能図のように、実際に歩いた図ではないのに、この日本らしさは見事です!
草戸千軒ミュージアムの企画展より 享保日本図と中国地方


日本輿地路程全図(赤水図)
去年の今頃、何かのニュースで、偶然知りました。
江戸時代の地理学者 長久保赤水が、全国を歩きながら収集した情報を編集して作った地図だそうです。
これも、実際に測ったものではない。ということが驚愕です。
伊能図が完成する42年も前にこのポテンシャルのものがあったことに驚きます。機密であった伊能図と異なり、赤水図は明治期まで広く使われていました。頷けます。
いや~。まず、伊能図ありきで測量に興味をもったきっどには、盲点的な勉強不足でした。。。
山陰に住まうものとしては、竹島の図示があるということが、大きな興味を引くところです。
企画展などはすでに過去のものしか情報がありませんが、機会があれば、ぜひ実物を拝見したいと思います。

↓手元に資料がありませんので、リンクのみ上げさせていただきます。
長久保赤水 ウィキペディア

それでは終わります。

↓その他の 引用・リンクはこちらです。
享保日本図 ウィキペディア
守屋寿コレクション ウィキペディア
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測地レジェンド伊能忠敬、米子に呆れる。(3)

続きです。

伊能忠敬測量隊が、米子にやってきたのは、沿岸をメインに測った第5次測量-文化3年(1806)8月と、内陸を測った第8次測量-文化10年(1814)閏11月。の2回であったことが「測量日記」から分かっています。
第5次測量の際、島根半島から隠岐へ渡航する際中、天候トラブルのため鳥取(赤崎)へ流れ着いてしまい、一旦ではあるものの、初の米子入りは文化3年6月であったとされます。

この、第5次測量で、件の米子城周辺域の測量を実施することになりましたが、実は、忠敬は4月から持病が出て、測量作業には携わらずに、宿から宿への移動のみにとどめていました。8月8日、無事米子入りしましたが、止宿に直行していました。
測量の実働隊は、安来方面から米子城の近くまで来ていました。
そこで、藩の役人から、藩にお伺いを立てるまで作業をストップするよう言われます。
止宿に引き取ると郷方役人が挨拶に来たので、領地の案内図や、村名、家数などデータ供出を願い出ますが、案内図の供出はダメと藩庁のお達しだとつっぱねられました。
さらに、水辺の城である米子城には、どうしても測量の手が入るため、こんどは寺社奉行所下役に相談しますが、城は鳥取藩家老荒尾氏の預かりで都合が悪い。とこれも拒否されてしまいます。
測量は幕府の御用ですので、先ぶれがでているはずでした。
その趣旨を汲んでもなお、体制に素直に従えないのは、外様大名の性なのでしょうか?
ここからはきっどの個人的感情なのですが、ここにも「米子あるある」が見え隠れしていて苦笑いしてしまうのでした。
新しもの好きのくせに、「これまで」をひっくり返すような変革を嫌います。
利益に固執するのに、非効率な従来の考えを変えなかったりします。
(ただ、きっどはそれで良いと思うこともあります。効率化って時として不健康と感じる側面も多いです。。w)
体制への警戒心とか、強いですよね。
御用測量は、極大なる外敵に備えるための安全保障のはずなのですが、目先のごたごたに注力するあまり、そこまで想像力が及ばなかったことは想像に難くありません。

なんにせよ、このままでは御用を果たせません。
かたくなな役人に対し、測量隊副隊長格が、これまで諸国沿岸、城の周囲を滞りなく測量してきたことを説きます。
また、病体ながらも忠敬自ら担当者と面談し、折衝したようです。

結果は、出来上がった大図を見れば分かるように、お城の水際を明確に捉えていました。
「測量日記」には、折衝の内容には触れられていないということですが、「大いに時間を要した。」、ということはズバリ書き込まれていたようです。

続きます。

※ 引用  「伊能忠敬研究会」出版、没後200年記念紙「伊能忠敬 日本列島を測る」
星埜由尚(ほしのよしひさ) 建設工業新聞「伊能忠敬の足跡をたどる」第31回

※ 素人が引用しています。誤用の責はすべてぶらすたーきっどにあります。

測地レジェンド伊能忠敬、米子に呆れる。(2)

続きです。

話は逸れますが、伊能忠敬という人物像を思うとき、まず何を思い浮かべるでしょう?

~入婿ながら、伊能家の家産を増やすほど、事業に厳格な人物だった。

勉強熱心でチャレンジャー。几帳面で数学に強い。頑固者。~

などなど、いろいろな側面で魅力的に語られると思いますが、きっどが描く人物像は、ズバリ!

加藤剛

であります。

なんだよそれ!?と、思われるのを覚悟の上で、かたくなにきっどは、加藤剛=伊能忠敬と、染みつかせてまいりました。

確かに、記録から伺う人となりや、肖像画の存在を「置いといて」、何はともあれ加藤剛というのもやりすぎに思いますが、やはりきっどは加藤剛が、脳裏で測量し続けています。
ご存じの方も多いと思いますが、加藤剛が大岡越前引退の後、舞台、映画とたて続けに演じた歴史上の人物が伊能忠敬でした。

きっどは、伊能図への興味だけから、新国立劇場での、俳優座による「伊能忠敬物語」を観劇しました。
そこで、初めて加藤・伊能を見ることになるのですが、伊能像に固定観念のないきっどは、もうドハマリでした。
大岡越前などの尊大な存在感しか知りませんでしたもので、「第二の人生を突き進む、こだわり爺さん」を見事に演じていた加藤剛にほれぼれし、「もうこれ以上の忠敬像はいらない。」と思ってしまいました。

続く、映画「伊能忠敬 子午線の夢」では、地図を作成するシーンまで描かれ、それを見たきっどは、作図を指揮する加藤・伊能に完璧に脳内補完されてしまったのでした。

その後、井上ひさし原作のドラマで、橋爪功・伊能も見たりしましたが、女性にだらしないなどの独自設定からか、いまひとつ加藤・伊能を覆すには及びませんでした。

さて、横道すみませんでした。

前回のブログでアップした画像のなかの本は、「伊能忠敬研究会」が、没後200年(2018年)の記念に出版したもので、忠敬測量ゆかりの都道府県自治体等に謹呈されました。
きっどが伊能図好きということから、早速その情報が舞い込み、とるもとりあえず拝見させていただきました。

学術書のような難しい本と思っていましたが、企画展の図録のような、カラフルで見やすい構成。
忠敬の全国行脚をたどりやすく、また、都道府県ごとのトピックで気になるところから読める、素晴らしい研究書です。

早速、鳥取県のページをめくります。

ああ。。あったあった。。。

米子城のくだりが。。。。

すみません。続きますw


顕彰、研究、海外での伊能図発見などに尽力される
「伊能忠敬研究会」の情報はこちらからも↓
「伊能忠敬研究会」HP
※誌面の転載は制約があるため、念の為一切のアップを控えます。


※記事中すべてのお名前の敬称を省略いたしました。
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