ダシが街を救う!?牛骨VS小魚(3)
続きです。
まず、米子の食堂では、食べ物に関して十分熱いもの、また硬いものはあまり供さない傾向です。
とある公共施設では自販機の飲み物が熱いといってクレームがくるなど、きっどが越してきてからも、自販機の飲み物がぬるくなり続け、”地域の好み”と諦めました。
また、食堂などでも、「今日はご飯が硬くてごめんね。」とか「熱いからホント気を付けて」とか店員が常連客に詫びている光景も目にします。(きっど的には逆に称賛に値するのですが。。)
従って、ラーメンなどは、ぬるめ、柔らかめがデフォルトでちょっとテンション下がります。横浜家系で構築されたきっどの舌には別の食べ物に感じるほどです。
また、牛骨スープは、体系的には澄まし汁で、コンソメスープに酷似しています。”あっさり上品”で個性を出そうにも、時流は濃厚ラーメンに傾倒しますから、ブレイクには足踏み感があります。
本来ラーメンは闇が深い食べ物で、上品さを追求するものではありません(byくりたゆうこ)が、素ラーメンという郷土食もあるほどですから、背油やチーユたっぷりなど、食地盤になかったのでしょう。
あくまで土地の食堂が土地の方々にむけそれぞれ提供していた食なので、全国ラーメン好きに発信するのにいまいち決定打を見いだせない向きもあったかもしれません。
ただ最近になって、若手大将達によるスタイリッシュな牛骨ラーメン専門店が、やっと安定した客の入りを見せるようになりました。熱々スープに歯ごたえ麺、といったデフォルトには、きっども大いに納得です。
数年前にきっどが惚れ込んだ店は、惜しくも畳んでしまいました。まずは地元の人に愛されないと継続できない現実もあり、そこをクリアしつつ、全国に向け発信する準備が、ようやく整ってきた!と、きっどは思いました。
ワイルドな風合いを残しつつも、洗練された尾道ラーメン。 実際に自治体の財政回復に貢献しているそうで、わが牛骨はこの好例に追従できるでしょうか?
中国地方のラーメン2大巨頭を目指し、牛骨ラーメンにはこれからも頑張っていただき、また、応援もしたいと考えています。
食後に、近くの浄土寺という古刹を散策・拝観してきました。
国宝、多宝塔を見学しました。
びっくりしたのが、足利尊氏の墓と称される重文の宝篋印塔が保存されていたことでした。
3年前、後醍醐天皇ゆかりの風景画を描き、賞を頂いたこともありますので、偶然とはいえ縁を感じました。
もっとも、尊氏逝去の際、各地でこのような塔が建立されたとも聞きますので、遺骨を安置する墓とは異なるものでしょう。
尊氏の墓は、海の良く見える場所にありました。
浄土寺は、尾道らしい瀬戸内に面する斜面にあり、旅情を満喫したのでした。
終わります。
まず、米子の食堂では、食べ物に関して十分熱いもの、また硬いものはあまり供さない傾向です。
とある公共施設では自販機の飲み物が熱いといってクレームがくるなど、きっどが越してきてからも、自販機の飲み物がぬるくなり続け、”地域の好み”と諦めました。
また、食堂などでも、「今日はご飯が硬くてごめんね。」とか「熱いからホント気を付けて」とか店員が常連客に詫びている光景も目にします。(きっど的には逆に称賛に値するのですが。。)
従って、ラーメンなどは、ぬるめ、柔らかめがデフォルトでちょっとテンション下がります。横浜家系で構築されたきっどの舌には別の食べ物に感じるほどです。
また、牛骨スープは、体系的には澄まし汁で、コンソメスープに酷似しています。”あっさり上品”で個性を出そうにも、時流は濃厚ラーメンに傾倒しますから、ブレイクには足踏み感があります。
本来ラーメンは闇が深い食べ物で、上品さを追求するものではありません(byくりたゆうこ)が、素ラーメンという郷土食もあるほどですから、背油やチーユたっぷりなど、食地盤になかったのでしょう。
あくまで土地の食堂が土地の方々にむけそれぞれ提供していた食なので、全国ラーメン好きに発信するのにいまいち決定打を見いだせない向きもあったかもしれません。
ただ最近になって、若手大将達によるスタイリッシュな牛骨ラーメン専門店が、やっと安定した客の入りを見せるようになりました。熱々スープに歯ごたえ麺、といったデフォルトには、きっども大いに納得です。
数年前にきっどが惚れ込んだ店は、惜しくも畳んでしまいました。まずは地元の人に愛されないと継続できない現実もあり、そこをクリアしつつ、全国に向け発信する準備が、ようやく整ってきた!と、きっどは思いました。
ワイルドな風合いを残しつつも、洗練された尾道ラーメン。 実際に自治体の財政回復に貢献しているそうで、わが牛骨はこの好例に追従できるでしょうか?
中国地方のラーメン2大巨頭を目指し、牛骨ラーメンにはこれからも頑張っていただき、また、応援もしたいと考えています。
食後に、近くの浄土寺という古刹を散策・拝観してきました。
国宝、多宝塔を見学しました。
びっくりしたのが、足利尊氏の墓と称される重文の宝篋印塔が保存されていたことでした。
3年前、後醍醐天皇ゆかりの風景画を描き、賞を頂いたこともありますので、偶然とはいえ縁を感じました。
もっとも、尊氏逝去の際、各地でこのような塔が建立されたとも聞きますので、遺骨を安置する墓とは異なるものでしょう。
尊氏の墓は、海の良く見える場所にありました。
浄土寺は、尾道らしい瀬戸内に面する斜面にあり、旅情を満喫したのでした。
終わります。
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