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糖が足りぬ!もっと糖を!!

こんばんは。ぶらすたーきっどです。

立春も過ぎ、例の疫病自粛自体、冬に置き去りにしたい欲求に駆られるのでしょうか?
なにやら、周辺もざわざわと動き始めてまいりました。

まず、お隣に住まう若旦那さまが、ご結婚されました。
この困難な局面を乗り越え掴んだ幸せは本物です。お幸せに!
(すみません。備忘録も兼ねますのでw)

きっども、東京展の出品準備に追われる中、地元美術会派の活動などと並行し、立春早々、絵画修復の仕事が舞い込んで来ました。
う~ん。なんでだろう??
慣れないことではありますが、技術の全てを尽くして対応いたします。

そんなこんなで、血糖値が下がりまくってしまい、ダイジョブかな?と思いつつも、甘いものをバリバリ食べて乗り越える日々が続いております。

以前にも書きましたが、甘いものが切れると、肘のあたりがフルフルする禁断症状が出ます。
BMIと相談しながら、可能な限り、甘いものと良好なおつき合いがしたいと思っています。

さて、山陰・島根には、(個人的には)無二の存在だと思っている、郷土菓子があります。

よく、物産店や郷土土産売り場などで、伝統菓子、郷土菓子などとして、「百ン年の伝統」。などのストーリーとともに置かれているお菓子が多く存在しますが、案外どれも既視感があり、「薄皮に白餡」とか「きな粉に求肥」とか、全国的にもポピュラーな素材とお味だったりします。(それはそれで、安定のおいしさなのですが・・)

ところが。島根県、出雲の西部、「出西」には
「なぜか昔から知っているような気がするのに、めったに口にすることができないと感じる」
まさしく無二でレトロな感じの、美味しい砂糖菓子があるのです。

それが「生姜糖」です。

よく、生姜スライスの砂糖漬けもそう呼んだりしますが、ここでご紹介したいものとは異なります。

溶かした白砂糖を、絶妙のタイミングで銅の型に流し込み、板の形に仕上げた至極素朴な菓子です。
一口サイズに割って口に放りこみ、まずはポリっとした歯ごたえを楽しみます。
と、その直後、砂糖の板がさっくりほどけて、混ざり気のない砂糖のうまさと、まろやかな生姜の風味が広がります。

ああ、幸福の甘さ。

なんでしょう?
手作りなので、そうそうどこでも大量に手に入るものではないのですが、大昔から知っているようなお味なのです。
特に、関東生まれのきっどには、とんとなじみがないはずです。
不思議ですね。

出雲周辺の物産店で取り扱ってます。
ネット通販もありますが、それなりにお時間の余裕が必要そうです。

全国に誇れるお菓子ですよ! ぜひお味見してください!

ちなみに案件ではありませんw

出西の來間屋生姜糖 レトロで魅力的なパッケージ

出西の來間屋生姜糖

↓お店の情報はこちら
來間屋生姜糖本舗HP
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この天を回らすために。。。大津島(6)

続きです。

生きて帰らないための訓練場所。などと、文字に起こすと、いかにも不穏さを纏ってしまいます。
この島で暮らすということは、果たして地獄で暮らすことと同義的なものだったのでしょうか?
はたまた、天を回らし、将来の日本の希望を得ることだったのでしょうか?

きっどには、答えは出せませんでした。
ただ、搭乗員の生の声を聴けるのは現在ここだけですので、想いを巡らせる事はできました。

さて、極力、私情と先入観に惑わされないよう努めましたが、ひとつだけ、当時を生きたある方の記録に心動きましたので、あえてここに記して終わりたいと思います。

そのある方とは、当時徳山市街にあった料亭の仲居さんであった「お重さん」という方です。
この料亭は軍や政府要人の御用達でしたが、回天搭乗員も足を運んでいて、お重さんこと、倉重アサ子さんのことを母親のように慕っていたといわれます。
搭乗員が出撃のため遺した遺筆には、彼女にあてたものも多かったそうですので、その存在がいかに慕われていたかが分かります。
搭乗員の年齢分布は、17歳から27歳。当時40歳前後の倉重さんは、搭乗員の、実際の母親と同じ雰囲気を纏っていたに違いありません。振る舞いも、搭乗員の母親達を代表するような、素敵な方だったのではないでしょうか。

こういう方の存在のおかげで、ふと、つらいことを乗り越えられたりします。
守るべきものを手放さなかったりできるものです。

回天記念館の玄関前には、彼女を偲んで、枝垂桜が植樹されました。(二代目だそうです)
季節には、桜の花が、搭乗員の銘碑に降り注ぐそうです。

本当に駆け足でしたが、探訪を終え、昼食時には徳山へ到着。米子への帰路に付きました。
いろいろ見残したこと、また、回天にまつわる基地で他にも見学できる場所もあるそうですので、機会を見計らって今後も探訪したいと思います。

一応の終わりといたします。

~記事をまとめるなかで~
話は少し変わってしまいますが、ごく最近、「お母さん食堂」という、とある企業戦略が、ジェンダー差別を助長させるとして、活動グループがネーミングの変更を訴えたことが話題になりました。 →yahooニュース
きっどは、仕事上のルーティンから、当然のごとく家事全般を担っておりますので、このグループの主張については、理解はしますが、その解釈を深めるにつれ、得心することはできませんでした。
活動家の皆さん。どうか我々から、母親を奪わないで下さい。
男だろうと、女だろうと、産みだろうと、育てだろうと母親は母親です。
ただ、その母親とは、どんな人間がなれるわけでも、呼ばれるわけでもありません。
お重さんのような方は、当時、様々な場所におられ、様々な「母」として人生をお過ごしになられました。
もしこの問題に深く取り組まれるなら、ぜひ、戦争遺跡へも足をお運びください。よろしくお願いします。

↓記事引用や、参考。 また、最新の情報は以下からも

回天記念館HP
回天;ウィキペディア
出口のない海;ウィキペディア ←海老蔵主演の映画 記念館内に撮影に使われた回天のセットがある。
大津島について;周南市観光交流課
徳山観光;周南観光コンベンション協会
倉重アサ子さん;ウィキベテア

この天を回らすために。。。大津島(5)

続きです。

回天記念館の、門扉から玄関まで通ずる石畳の両サイドには、搭乗員銘碑が並んでおります。
そこにはまだ、比較的新しい花が一輪づつ供えられていました。
きっどが訪れたのは11月中旬で、この島から初出撃のあった月と重なります。
追悼式や、献花が行われたばかりだろうと考えられました。
記念館の内部は、一切の写真が禁止となっております。
その分、搭乗員にまつわる資料や映画で使われたセットなど、展示内容は貴重で豊富です。
また、館内で販売されているガイドブックは、それだけでも、相当に回天を学べる研究書になっております。
大変お勧めできる書籍となっております。

回天記念館 正面玄関と銘碑

海岸の散策に戻ります。
海岸の遺構で象徴的なのが、運搬トンネルです。
猫と別れてさっそく入ってみます。気味の悪さは感じませんが、背筋のこわばる緊張感が続きます。
このトンネル内を、トロッコに乗った回天が運ばれてゆき、この先で海に降ろされます。
トンネル内は一部トロッコが複線となり、当時は予備の機体がそこで待機していました。

左;運搬トンネル予備機待機所付近 右;運搬トンネル出口桟橋


トンネルを抜けると、桟橋が、カーブしながら海上の施設に接続していました。
この施設が、「ケーソン」。(もともとコンクリートの工法を指す名称が、そのまま施設の呼び名になりました。)
往時はクレーンが設置されていて、回天の海面への昇降と、搭乗員のプラットホームとなった場所です。

回天訓練基地(ケーソン)

現在は入れませんが、2階にも訓練設備がありました。
回天作戦以前の、酸素魚雷試験発射口も確認できます。一見大きな生簀のようなものが、海中の碧を映しながら、沖に向かって開口しており、奇妙に感じます。魚雷が収まるとわかると、ざわついた気分になります。

右; 酸素魚雷試験発射口

回天を運ぶレールは、海岸の露岩の上にもあったそうです。若干のモルタル跡が残っていて、かって軌道が存在したことがわかります。

このほか、回天基地の軍用地の中には、整備工場跡や、士官の屋敷の跡、連絡路などが、現在も風化せずに残されています。

駆け足でしたが島内を巡り、この、回天の島に残る遺跡の特筆性が見えてきた気がします。

帰ることができない船を造り。その船を操るために人が集まり。その船を使用するために旅立ち。
そして想定通り、船も、人も、帰ることはありませんでした。
その、最後の2か月間ほどの搭乗員のくらしのすべてが、ここに集約されているということでした。

続きます。

この天を回らすために。。。大津島(4)

続きです。

大津島に回天訓練基地が開隊され、初めて集められた搭乗員は34名。終戦時までに訓練を受けたのは、(途中増設された、同県光基地などを含め)合計1375名といわれています。
大津島での訓練は、ここで書くまでもなく厳しいものであったようです。
操作は複雑で、海中に潜む危険と隣り合わせ。訓練中の殉職もありました。最大限に訓練機を回すため、整備は徹夜で行いました。
初めての回天出撃は、昭和19年11月8日になりました。航空機による特攻は、この少し前より始まっていたといわれます。
出撃地は西太平洋カロリン諸島ウルシー環礁、パラオ諸島コッスル水道と決定。徳山湾に碇泊させた3隻の伊号潜水艦が母艦となり、これに回天を搭載し、目的地まで運びます。
12名の搭乗員が母艦に乗り込み出撃。回天隊は皆、帰ることはありませんでした。

以降、終戦まで、グアム、硫黄島、沖縄などに出撃。
搭乗員106名(事故、自決、母艦の沈没などを含む)が戦死、平均年齢は20.9歳でした。 また、整備員たちを含む、作戦関係者を合わせると956名が戦死しました。

以上、ざっくりしすぎるとは思いますが回天について触れさせていただきました。

探訪を続けます。

高速船に同乗していた小学生の一団は、別方向へ分かれてゆきました。
島の西岸に立っているのは、きっどだけ(正確には、すり寄ってきた猫が1匹あり)になってしまいました。
目の前の湾は、いたって穏やかですが、当時は物々しかったでしょう。
きっどの郷里横須賀も海軍工廠がありました。鉄とコンクリによる錆色の世界が、ふとフラッシュバックしてまいります。

回天をより具体的に記すため、時系列を変えて、先に記念館の回天レプリカを載せたいと思います。
回天は、伊号潜水艦の後部甲板に4基ほど括り付け運ばれたそうです。
敵艦が碇泊艦か、航行艦で攻撃の段取りは異なるようですが、大体20~40Km手前で、回天は母艦と切はなされ、乗員は海中を目標へ近づけます。
回天記念館前のレプリカ

回天記念館前のレプリカ

途中、2km~0.5km手前で潜望鏡(水防眼鏡)による最後の確認をしたのち、携帯するストップウォッチを見ながら一気に突っ込みます。
操縦中は外の様子が見えないので、観測データで爆発命中までの秒数を算出しておきます。
ストップウォッチが、その時間を過ぎても何も起こらなければ失敗。
攻撃の成功については。。乗員であれば誰もそれを確認することはできなかったと考えられます。
右 水防眼鏡 このすぐ下に乗員席がある。

続きます。

この天を回らすために。。。大津島(3)

続きです。

~「回天」の理解ありきで書き始めましたが、この時点でも、自身が回天について深く理解に及んでいると言い切れません。
辛うじて得た理解をさらに噛み砕きながら、回天について改めて記したいと思います。

なお、回天は、先の太平洋戦争における艦船攻撃の要、「魚雷」にその原点を持ちます。なので、その成り立ちについて綴ると遠大になるためその部分は省かせていただきます。
前述のごとく、拙く浅学な者が綴ります。なにとぞ、ご寛大にお願い申し上げます。~

人間魚雷 回天は、先の太平洋戦争において、日本海軍が実際に用いた特攻兵器です。
当時の魚雷は、今のように自動的に敵目標へ向かってゆく機能などありませんでした。
こうした従来の魚雷攻撃の限界を打破するため、魚雷に直接人間が乗って敵艦に向かってゆくという構想を、具現化させたものが回天です。
回天の計画は、ミッドウエイ海戦、続くガダルカナル島撤退など、旧日本軍が苦汁を舐めはじめることになる昭和18年の終わりごろ、現場や士官からのボトムアップによりもたらされたといいます。命名は、幕末の軍艦名にあやかったそうですが、「天を回(めぐ)らし、戦局を逆転させる」意味で用いていたのは、計画提案者の士官だそうです。
設計当初、軍令部は、回天乗員の脱出装置を持たせることを命じますが、構造的難題や急がされる開発に、現場から反対意見が生じ、設計から外されました。
ここで事実上初の、生きて帰ることのない特攻兵器が誕生しました。
そして、こののちの特攻兵器誕生のハードルを下げるきっかけになってしまった。と語る関係研究者もおられるようです。

大津島には、もともと従来型の九三式酸素魚雷の発射試験場があったため、昭和19年9月、回天訓練基地として選ばれ、開隊することとなりました。
搭乗員は、志願、募集によって構成されていました。海軍兵学校・機関学校から志願と人事で集められ、募集は、兵科予備学生・予備生徒、飛行予科練習生を対象に、「一撃必殺の危険な兵器」 的な言い回しで人間魚雷であることは伏せ、大津島開隊1月前に行われました。

実物の回天の前で真実を告げられ、「嫌なら遠慮なく申告しろ」という上官に、誰も「嫌だ」と言わなかった。。。というのは、ドラマの中で描かれますが、きっどには事実は分かりませんでした。

続きます。
文章ばかりになりました。すみません。
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こんなブログですが、良いご縁がありますように。

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