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山陰中海圏「ハコ」ロマン(1)

こんにちは。ぶらすたーきっどです。

ほんとに、やばいくらいプライベートがありません。
首都圏の緊急事態宣言も解除の兆しが見え隠れし、世の中一気に解放ムードに突入しそうですね。
物事、急に動き出すと、支えきれないシステムは多々あります。
きっどのような中年の、綱渡りのような暮らしもしかりです。
春の気配のごとく、緩やかな移ろいを願うばかりです。

建築家、菊竹清訓先生の本記事に、ようやく移ることができました。
現在、島根県立美術館にて開催中の「菊竹清訓 山陰と建築 展」を拝見してまいりました。

中海圏に点在する、個性的な菊竹建築。

レトロなのか先駆的なのか、いまいち判別しづらいものの、どこかワクワクするようなアンシンメトリーが魅力的な建物は、移住してほどなく目に留まるようになります。
お世辞にも建築過密都市とは言えない中海圏の、そのゆったりとした景観のなかで、ふと存在感を表している建物が、まさに「菊竹作品」だったりします。

相も変わらず建築については門外漢ですが、菊竹先生と山陰とのゆかりについて、拙いながらご紹介できればと思います。

菊竹 清訓 (きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)先生は、いうまでもなく日本を代表する建築家、工学博士です。
1960~70年代にかけ 「メタボリズム」=新陳代謝する建築。といった、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する建築を提案しました。
まさに、生き物のように最長してゆく「都市」の在り方も、この「メタボリズム」の考え方が基にあるような気がします。

きっども、山陰とご縁のある先生という認識が全くないころ、日本のあちこちで訪れていた有名な建物が、実は菊竹建築だったというものが多々あります。

・川崎市民ミュージアム
・江戸東京博物館
・東名 海老名SA
・吉野ヶ里歴史公園センター
・九州国立博物館

などが、実際に訪れた建物です。

また、父親世代の会話などで出てくる有名なものは
・大阪万博 エキスポタワー
・沖縄万博 アクアポリス
などが代表にあがると思います。

これだけでも、驚くべき建築経歴の先生なのですが、どういうご縁で、山陰の建築を手掛けられることになったのでしょうか?

続きます。

菊竹清訓 山陰と建築展 図録

菊竹清訓 山陰と建築展 図録チラ見せ



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山陰中海「ハコ」ロマンチック(プレ記事)

こんばんは。ぶらすたーきっどです。

怒涛のような2月、3月。

こうまで雑務で手が回らない早春も久しぶりです。
大したも用でもないくせに、半日立派に拘束される事案が、手帳にびっしり。
よく見ると、自粛の限界や反動で、弾けたい衝動にかられた周辺勢力に付き合わされているだけの感もあります。

たしかに例年であれば、春先のウキウキに突き動かされる時期でもあります。
でも、それはあくまで「例年」。
惑わされないようにしなくてはいけません。

ようやくといいますか。。。久しぶりにブログを構っております。
まだ、いろいろ整理もできてませんので、再び「プレ記事」から始めさせていただき、本記事へと移ろうと思います。

さて、まずはタイトルの「中海」について、山陰マメ知識です。
「なかうみ」「ちゅうかい」とは、両方の読みが可能の、鳥取県西部、島根県東部の県境に横たわる汽水湖の呼称です。
同時に、中海、宍道湖を一つの観光産業資源と考え、それに接する、5市7町村の自治体は「中海圏」という、県を超えた観光・経済パートナーシップを設けています。
そこだけ、比較的文化親和性のある、ユニークなエリアと言えます。

今回「ハコ」と表現させていただいたものは、ベタではありますが「建築物」のことです。
そして、この中海圏でも数々の建築を残された高名な建築家、故「菊竹清訓」先生の展覧会が、まさに宍道湖の岸辺で開催中でしたので、なんとか時間を割いて見に行ってまいりました!
なので、次回より、山陰、特に中海圏での菊竹先生の建築について綴ってゆこうと思います。

続きます!


追伸と余談

当記事と全然関係ありませんが、山陰のハコ。。。といえば、最強怪談の呼び声高い「コトリバコ」を連想される可能性も考えました((( ;゚Д゚)))
当ブログでも怪奇カテをがっつり用意しておりますので、いずれ綴れたらとも思います!

ちなみに、モデルとなった集落は、この中海圏に含まれて。。。。

糖が足りぬ!もっと糖を!!

こんばんは。ぶらすたーきっどです。

立春も過ぎ、例の疫病自粛自体、冬に置き去りにしたい欲求に駆られるのでしょうか?
なにやら、周辺もざわざわと動き始めてまいりました。

まず、お隣に住まう若旦那さまが、ご結婚されました。
この困難な局面を乗り越え掴んだ幸せは本物です。お幸せに!
(すみません。備忘録も兼ねますのでw)

きっども、東京展の出品準備に追われる中、地元美術会派の活動などと並行し、立春早々、絵画修復の仕事が舞い込んで来ました。
う~ん。なんでだろう??
慣れないことではありますが、技術の全てを尽くして対応いたします。

そんなこんなで、血糖値が下がりまくってしまい、ダイジョブかな?と思いつつも、甘いものをバリバリ食べて乗り越える日々が続いております。

以前にも書きましたが、甘いものが切れると、肘のあたりがフルフルする禁断症状が出ます。
BMIと相談しながら、可能な限り、甘いものと良好なおつき合いがしたいと思っています。

さて、山陰・島根には、(個人的には)無二の存在だと思っている、郷土菓子があります。

よく、物産店や郷土土産売り場などで、伝統菓子、郷土菓子などとして、「百ン年の伝統」。などのストーリーとともに置かれているお菓子が多く存在しますが、案外どれも既視感があり、「薄皮に白餡」とか「きな粉に求肥」とか、全国的にもポピュラーな素材とお味だったりします。(それはそれで、安定のおいしさなのですが・・)

ところが。島根県、出雲の西部、「出西」には
「なぜか昔から知っているような気がするのに、めったに口にすることができないと感じる」
まさしく無二でレトロな感じの、美味しい砂糖菓子があるのです。

それが「生姜糖」です。

よく、生姜スライスの砂糖漬けもそう呼んだりしますが、ここでご紹介したいものとは異なります。

溶かした白砂糖を、絶妙のタイミングで銅の型に流し込み、板の形に仕上げた至極素朴な菓子です。
一口サイズに割って口に放りこみ、まずはポリっとした歯ごたえを楽しみます。
と、その直後、砂糖の板がさっくりほどけて、混ざり気のない砂糖のうまさと、まろやかな生姜の風味が広がります。

ああ、幸福の甘さ。

なんでしょう?
手作りなので、そうそうどこでも大量に手に入るものではないのですが、大昔から知っているようなお味なのです。
特に、関東生まれのきっどには、とんとなじみがないはずです。
不思議ですね。

出雲周辺の物産店で取り扱ってます。
ネット通販もありますが、それなりにお時間の余裕が必要そうです。

全国に誇れるお菓子ですよ! ぜひお味見してください!

ちなみに案件ではありませんw

出西の來間屋生姜糖 レトロで魅力的なパッケージ

出西の來間屋生姜糖

↓お店の情報はこちら
來間屋生姜糖本舗HP

この天を回らすために。。。大津島(6)

続きです。

生きて帰らないための訓練場所。などと、文字に起こすと、いかにも不穏さを纏ってしまいます。
この島で暮らすということは、果たして地獄で暮らすことと同義的なものだったのでしょうか?
はたまた、天を回らし、将来の日本の希望を得ることだったのでしょうか?

きっどには、答えは出せませんでした。
ただ、搭乗員の生の声を聴けるのは現在ここだけですので、想いを巡らせる事はできました。

さて、極力、私情と先入観に惑わされないよう努めましたが、ひとつだけ、当時を生きたある方の記録に心動きましたので、あえてここに記して終わりたいと思います。

そのある方とは、当時徳山市街にあった料亭の仲居さんであった「お重さん」という方です。
この料亭は軍や政府要人の御用達でしたが、回天搭乗員も足を運んでいて、お重さんこと、倉重アサ子さんのことを母親のように慕っていたといわれます。
搭乗員が出撃のため遺した遺筆には、彼女にあてたものも多かったそうですので、その存在がいかに慕われていたかが分かります。
搭乗員の年齢分布は、17歳から27歳。当時40歳前後の倉重さんは、搭乗員の、実際の母親と同じ雰囲気を纏っていたに違いありません。振る舞いも、搭乗員の母親達を代表するような、素敵な方だったのではないでしょうか。

こういう方の存在のおかげで、ふと、つらいことを乗り越えられたりします。
守るべきものを手放さなかったりできるものです。

回天記念館の玄関前には、彼女を偲んで、枝垂桜が植樹されました。(二代目だそうです)
季節には、桜の花が、搭乗員の銘碑に降り注ぐそうです。

本当に駆け足でしたが、探訪を終え、昼食時には徳山へ到着。米子への帰路に付きました。
いろいろ見残したこと、また、回天にまつわる基地で他にも見学できる場所もあるそうですので、機会を見計らって今後も探訪したいと思います。

一応の終わりといたします。

~記事をまとめるなかで~
話は少し変わってしまいますが、ごく最近、「お母さん食堂」という、とある企業戦略が、ジェンダー差別を助長させるとして、活動グループがネーミングの変更を訴えたことが話題になりました。 →yahooニュース
きっどは、仕事上のルーティンから、当然のごとく家事全般を担っておりますので、このグループの主張については、理解はしますが、その解釈を深めるにつれ、得心することはできませんでした。
活動家の皆さん。どうか我々から、母親を奪わないで下さい。
男だろうと、女だろうと、産みだろうと、育てだろうと母親は母親です。
ただ、その母親とは、どんな人間がなれるわけでも、呼ばれるわけでもありません。
お重さんのような方は、当時、様々な場所におられ、様々な「母」として人生をお過ごしになられました。
もしこの問題に深く取り組まれるなら、ぜひ、戦争遺跡へも足をお運びください。よろしくお願いします。

↓記事引用や、参考。 また、最新の情報は以下からも

回天記念館HP
回天;ウィキペディア
出口のない海;ウィキペディア ←海老蔵主演の映画 記念館内に撮影に使われた回天のセットがある。
大津島について;周南市観光交流課
徳山観光;周南観光コンベンション協会
倉重アサ子さん;ウィキベテア

この天を回らすために。。。大津島(5)

続きです。

回天記念館の、門扉から玄関まで通ずる石畳の両サイドには、搭乗員銘碑が並んでおります。
そこにはまだ、比較的新しい花が一輪づつ供えられていました。
きっどが訪れたのは11月中旬で、この島から初出撃のあった月と重なります。
追悼式や、献花が行われたばかりだろうと考えられました。
記念館の内部は、一切の写真が禁止となっております。
その分、搭乗員にまつわる資料や映画で使われたセットなど、展示内容は貴重で豊富です。
また、館内で販売されているガイドブックは、それだけでも、相当に回天を学べる研究書になっております。
大変お勧めできる書籍となっております。

回天記念館 正面玄関と銘碑

海岸の散策に戻ります。
海岸の遺構で象徴的なのが、運搬トンネルです。
猫と別れてさっそく入ってみます。気味の悪さは感じませんが、背筋のこわばる緊張感が続きます。
このトンネル内を、トロッコに乗った回天が運ばれてゆき、この先で海に降ろされます。
トンネル内は一部トロッコが複線となり、当時は予備の機体がそこで待機していました。

左;運搬トンネル予備機待機所付近 右;運搬トンネル出口桟橋


トンネルを抜けると、桟橋が、カーブしながら海上の施設に接続していました。
この施設が、「ケーソン」。(もともとコンクリートの工法を指す名称が、そのまま施設の呼び名になりました。)
往時はクレーンが設置されていて、回天の海面への昇降と、搭乗員のプラットホームとなった場所です。

回天訓練基地(ケーソン)

現在は入れませんが、2階にも訓練設備がありました。
回天作戦以前の、酸素魚雷試験発射口も確認できます。一見大きな生簀のようなものが、海中の碧を映しながら、沖に向かって開口しており、奇妙に感じます。魚雷が収まるとわかると、ざわついた気分になります。

右; 酸素魚雷試験発射口

回天を運ぶレールは、海岸の露岩の上にもあったそうです。若干のモルタル跡が残っていて、かって軌道が存在したことがわかります。

このほか、回天基地の軍用地の中には、整備工場跡や、士官の屋敷の跡、連絡路などが、現在も風化せずに残されています。

駆け足でしたが島内を巡り、この、回天の島に残る遺跡の特筆性が見えてきた気がします。

帰ることができない船を造り。その船を操るために人が集まり。その船を使用するために旅立ち。
そして想定通り、船も、人も、帰ることはありませんでした。
その、最後の2か月間ほどの搭乗員のくらしのすべてが、ここに集約されているということでした。

続きます。
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~過疎をいいことに、好きに書いています~
こんなブログですが、良いご縁がありますように。

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